スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[--/--/-- --:--] スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-)
[タグ未指定]

Derek and the Dominos/Painters Mill Music Fair/1970年11月29日ボルティモア公演 

derekpent2.jpg

2回目の「レイラ」

クラプトンの代表曲と言えばもちろん「いとしのレイラ」であり、ライブでもかかさずプレイされてきたナンバーですが、意外にもクラプトンが曲を書いた時のバンド、デレク・アンド・ザ・ドミノス時代にはほとんどライブ演奏されていません。

現在確認されているレイラのライブ演奏は3つ。

最後となったUSツアー終盤、11月27日セントルイス公演に恐らく初めて演奏され、その後29日ボルティモア公演を経て、有名な12月1日タンパ公演でデュアン・オールマン(「いとしのレイラ」レコーディングに参加)が飛び入りし、初めて5人編成で演奏されています。

つまり1970年11月29日、メリーランド州ボルティモア郡オーウィングス・ミルズ、ペインターズ・ミル・ミュージック・フェア(Painters Mill Music Fair)での公演はレイラが史上2回目に演奏された日なのです!

続きはこちら>>
スポンサーサイト

Derek and the Dominos/"The Majestic Stand"/1970年10月16日フィラデルフィア公演 

CIMG5030.jpg


Mid Valley製4枚組The Majestic Stand。同セット内のサンタモニカ公演から随分時間が空いてしまいました。

今回はディスク1に収録されている1970年10月16日、米国ペンシルバニア州はフィラデルフィアのエレクトリック・ファクトリー公演。

この公演もドミノスのライブ音源としては最も良い音質の部類に入るもので、サンタモニカ公演とセットのThe Majestic Standはドミノスブートの最高峰に位置付けられています。これらを超える音質のものは公式ライブ盤に使用されたフィルモア・イースト公演のサウンドボードしか存在しないので、ドミノスのオーディエンスものとしては最高音質ということになります。

このエレクトリック・ファクトリー公演は何と言っても演奏のキレっぷりが有名で、この日のWhy Does Love Got To Be So Sadは曲としてだけでなく、クラプトンのキャリア全体の中でベスト・パフォーマンスと言われるほどの演奏内容。とにかくクラプトンは弾きまくっていて、イントロのジャムから始まり、全く途切れることなく流れるフレーズの波に飲み込まれてしまう程の演奏。


続きはこちら>>

Derek and the Dominos/新音源発掘!/1970年8月?公演地不明 

DIMEに何やら新音源が。

デレク・アンド・ザ・ドミノスのこれまで出回っていなかったライブが登場。

Derek+and+the+Dominos++3.jpg


正確な公演日は不明ですが、セットリストや録音されたテープの内容(70年ワイト島フェスの録音と同テープに録音されていた)からみて1970年8月に行われたUKツアーのファーストレグからの公演だと思われます。


続きはこちら>>

Derek and the Dominos/"The Majestic Stand"/1970年11月20日レイト・ショー 

前回(アフタヌーン・ショー)の続き


snta monica dominos



さて、前回から引き続き、Mid ValleyMajestic Standより、サンタモニカ公演レイト・ショーです。

続きはこちら>>

Derek and the Dominos/"The Majestic Stand"/1970年11月20日アフタヌーン・ショー 

写真 (41)




クラプトン自ら最高のバンドと称するドミノス。

クリームの時代のメンバー間の軋轢やスターとしての重圧に苦しんだクラプトンが、ブラインド・フェイスでも「スーパーグループ」としての注目から逃れられず、アメリカ南部のサウンドを追求していたデラニー・アンド・ボニーに身を隠すようにして参加し、後にそのリズム隊を招き結成したバンド。


ギター、キーボード、ベース、ドラムという4名によるタイトなユニットが展開したサウンドはそれまでのロックのスーパースターとしてのクラプトンから、70年代を通してのよりブルース基調の、アメリカ南部のレイドバックサウンドへの転換点となったようです。


「最高の音楽」を演奏していた、とクラプトンは語っていますが、ドラッグの蔓延によるメンバー間との軋轢からわずか1年でセカンドアルバム製作中にケンカ別れ。ドミノスの歴史はたった1枚のスタジオアルバム「レイラ」と2枚のライブ盤「イン・コンサート」、「ライブ・アット・ザ・フィルモア」(ライブ盤はどちらもバンド解散後の発売)を残しただけ、ツアーも1970年に行われたUKツアーとUSツアーのみという形で幕を閉じたのです。


スポットライトから逃れたかったクラプトンはバンド名も「デレク・アンド・ザ・ドミノス」と架空の名前を使用し、自身が参加していることを宣伝しないよう努めたらしいのですが、活動期間も短かった割には多くの音源が残されている気がします。同じく1年程の活動で幕を閉じたブラインド・フェイスよりは充実してますね。



続きはこちら>>
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。